富士登山の目安
知らずに登ると、喜びと悲しみを味わうことの出来る(?)、富士山の「○合目」という表わし方。同じ「合」がいくつも存在することから考えると、単純に高さを10で割ったというわけではない。独特の決め方がある。
かつて登山は修行の一環、人間形成の手段として行われていたもので、その際到達の難しさや疲労の具合をもとに目安や各人の到達目的として決められたという説。昔はあんどんを灯して登っていたので、その際の油の消費量を目安にして決めたという説。これら2つが一般的に言われている。
また、何故「分」ではなく「合」なのか。これは桝に入れた米を地上に出した時の形が山に似ているから、登山の苦しさを人生の苦難に見立てた梵語の「劫(ごう)」が変化したもの、山頂のことを御鉢、お供えする米も御鉢料ということから米に例えたため、などの説がある。


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