| 【偏向】 |
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「偏向」という言葉は、ある事象(行為・行動)を批判的に表現する時によく使われる。 最近この数年間で最も聞かれた言葉は「偏向報道」と「偏向教育」。 即ち「偏っている報道」とか「偏った教育」とか言われる。 偏っているというのは、その偏向の度合いをはかるための絶対的基準となるものがどこかに 存在することを前提とした評価ではあるが、そんな絶対的基準なんてものはどこにもない。 一般に「○○新聞が偏向している」という時に念頭に置かれている絶対的基準は、 いわゆる「客観的報道」といわれている。 しかし、「客観的報道」という表現ほど「形容矛盾」な言葉はないのではないだろうか。 「客観的報道」とほぼ同義で用いられている「中立的報道」というのも同じで、そんなものは 地球上や太陽系にも存在しない。 そもそも報道というのは、これ以上主観的な営みはちょっと他にはないのではないかというくらい、 徹底的に主観的な作業といえる。 とくに大手の報道機関ともなると、24時間365or366日世界中から送られてくる膨大な 量の情報について、 @どの情報を報道してどの情報を報道しないか取捨選択して、さらに、 A各々の情報の重要度をランク付けしたうえで、 B分量や時間配分を調整する、という、主観のかたまりのような作業を経たうえで、 情報を最終的に受け手のもとに送り届ける。 だから、報道機関の発信する情報は、その報道機関の主観を全面的に反映した 徹頭徹尾主観的な産物であって、どのような意味でも客観的なものではあり得ない。 それにもかかわらず、日本の新聞社やテレビ局は、「客観的報道」とか「中立的報道」なんぞという、 ありもしないものを社の報道方針として平気で掲げて涼しい顔をしているもんだから、 国民もうっかりとそんなもんかなぁと信じこまされている。 それでは、なんで日本の新聞社やテレビ局は、そんなありもしない嘘八百を並べ立てて、 つまりは国民を欺いてまで「客観的報道」とか「中立的報道」をしているフリをしたがるのか。 その答えは「発生した結果に対する責任を一切とりたくないから」である。 報道と因果関係のある何らかの結果が発生した場合に、それがあくまでも客観的報道、 つまりは会社や記者の主観的見解ではなく単なる事実の機械的描写にすぎないのだ、 ということにさえしておけば、発生した結果に対する報道機関の責任は原則として問われない。 もちろん、責任をとりたくないのは都合の悪い結果が発生した場合だけで、 都合のいい結果が出れば「オレがオレが」で、自分の手柄を主張したがる。 ひとことでいって、責任回避のことなかれ主義体質の産物。 報道が徹頭徹尾主観的な行為である以上、見解の対立する政党や政策をとりあげるさいに、 どれか特定の政党や政策により多くのウエートを置くのは当然のこと。 そうでなければ、並立していくつも報道機関が存在する意味なんてない。 名目上はともかく、実際には「客観的報道」や「中立的報道」というのはどこにも存在しないわけで、 あるのは「朝日新聞的報道」や「産経新聞的報道」や「赤旗新聞的報道」や「聖教新聞的報道」や 「日本放送協会的報道」だけ。 しかも、どれもべつに偏っているわけではなくて。 たんに各々の社の方針に則った報道をしているだけではあるが、 その時の「政権」から見て好ましくない内容の報道のとき、「偏向報道」といわれるのが実態である。 <2003.11.2>
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