| 【躾】 |
|
先日朝の地下鉄連絡通路で大して急いでいる様子でもない 若い女性がすれ違いざまにオジサンの左手にぶつかった。 決して狭い通路ではない。 少なくとも横に楽に5〜6人は歩ける広さである。 なんでこんなに広いところで他人にぶつかるのだろう。 一瞬オジサンは訳が分からなかった。 その時垣間見たその女性の目は少々空ろだった。 おそらくは睡眠不足でろくに朝飯も食べずに急いで家を 出てきたのだろう、と最大限の推測をした。 それにしても何故他人とぶつかって何も感じないのだろう。 意図的(?)にぶつかるのならまだ理解できる。 無意識にぶつかったのならフツーは謝るだろう。 たとえ自分が悪くなくても「すいません」と一言くらい口から 出てもよさそうなもんだが・・・とオジサンの常識で思ってしまった。 しかし直ぐにこの常識はもはや通用しないことに気がついた。 人前でやってよいことと悪いことの区別を誰からも教わっていない 人種に属していると思われるからである。 「そんなことしたらはしたない!」といわれたことや、 「それは人前ではやってはいけませんよ!」などといわれた経験の無い人種なのである。 昔はそれを「しつけ」といい、「躾」という漢字を宛てた。 「美しい身のこなし」がしつけの原点である、と思う。 それでは誰がそんなことを教えるのか? もちろん彼ら彼女らの親たちである。 とある教育関係のひとがこんな話をしていた。 *********************************************************************** 男子中学生が4人、テレビに出演していた。そろって、素直そうな、利発そうな子どもだった。 「朝、親におはようを言うか?」 司会者のこの質問で、4人は二手に分かれた。 2対2。 片方は「言わない」 他方は「言う」だ。 それぞれが「当たり前」という顔をしているのが面白かった。 「言わない」理由はこうだった。 「小さいときから言っていなかったので、今さら恥ずかしくて・・・・・・」 「言う」理由も簡単だった。 「小さいときから言っていた。気が付いたら、言うのが当たり前になっていた」 これを見て、江戸の知恵だ、と思った。 江戸には「3つ心、6つ躾(しつけ)、9つ言葉、文(文字)12理(ことわり)15で末決まる」という言葉がある。 「そのときまでに、そのことを教えないと手遅れになる」という知恵だ。 例えば「お暑うございます」といった丁寧語は、いまなら8歳までに教えなさい、躾は5歳までに、というわけだ。 これを実行すれば、成長した我が子を慌てて鍛え直す煩わしさから、親は解放されるというわけだろう。 *********************************************************************** ここで言う「躾は5歳まで」というのは就学前ということになる。 最も好奇心が強くなる頃で、ある意味では「外部情報」を素直に受け入れる歳かもしれない。 そう言えばオジサンの子供たちも朝は必ず親に挨拶をする。 おそらく理由を聞いても特にどうのこうのではなくおそらく親から言ってくるので自然といい始めたというだろう。 躾とはこんなもんであるかもしれない。 (躾を)受ける方は特に意識はせず、構えてもいない。 特別「作法」の時間などを設けなくても「親たち」が意識して立ち居振舞いを身を以って演じればよい。 先ほどの若いお嬢さんに、いまさら「他人にぶつかったら『すいません』と一言くらいいいなさい」 なんて言ってもおそらくは馬耳東風であろうし手遅れである。 何しろ我が身を省みず、自分の買っているペットの「躾」には人一倍熱心な人種であるのだから・・・・。 <2003.6.1>
|