禅問答の目指すもの
何を言っているのかさえ分からないような問答、話が噛み合わない問答のことを「禅問答」と表現する。臨済宗において師家(師匠)から雲水(修行僧)に出される問題「公案」に対するやり取りなのだが、なんのためにちんぷんかんぷんな問答をしているのであろうか。
公案には「無とは何か」「お前の生まれる以前の心は何だったか」「両手で手を叩くと音が出るが片手ではどんな音が出るか」等のようなものがある。これには正解がなく、雲水は師家に誉められようとあれこれ考え、答えを出す。多くの場合は付け焼刃の回答なので、師家はやり直しを命じ、雲水は全身全霊を傾け、取り組むようになるのである。
禅宗では、これまでに身につけた知識や考え方を仮(借り)のもの、つまり「人から与えられたもの」と考える。公案は、それまでの論理や知識では解決できない問題であるため、これに取り組むことによって、それまでの知識がいかにむなしいものかを知るのである。これを身を以って知ることが禅問答の基本的な考え方、目指すものなのである。


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