時間労働制を崩す労基法改悪     参院で可決


 9月25日、参院での徹底審議が望まれていた「労基法の一部『改正』案」が参院段階での修正なしで、可決・成立させられました。この法案は、先の通常国会で継続審議、参院選挙を経て、7月30日開会の臨時国会で改めて審議となったもの。しかし、衆院・労働委員会では日本共産党を除く五党間で密室協議がなされ、9月3日、修正提案され、一時間のみの委員会審議で衆議院を通過して参院へ。9月8日から参院での趣旨説明が始まり、翌9日からの労働・社会政策委員会から審議開始、9月18日の参考人審議を入れて、実質4回の委員会で参議院選挙の洗礼を受けた法律案を、全く修正することなく強行採決したのです。しかも、審議に出席した6人の参考人すべてが、参院での徹底、慎重審議を要請していたにもかかわらず、これも無視。
 50年間、労働の8時間制を保障してきた法律を変え、ただ働きを合法化しようというのは、まさに歴史の歯車を逆転させるものに他なりません。
しかし、法律が改悪されても、これですべて終わりではなく、むしろこれからが正念場のたたかいといえます。新裁量労働制も変形労働制の拡大も、労使協定を結ばずにノーといえば、絶対適用できないのです。今でも横行している労基法の違反を改めて点検し直して、職場での団結を下に要求にまとめてたたかうことが求められています。MICもその構成団体となって、これまでのたたかいを推進してきた「労働法制改悪反対、労働時間の男女共通規制実現、人間らしく働くルールの確立をめざす」中央連絡会に結集して、多くの仲間とともに改悪労基法を跳ね返していきましょう。また、これから審議が開始される労働者派遣法の改悪法案にも反対しましょう。



「労働基準法の一部改正」を認めない!


 日本という「国」は、ついにその根幹から腐食を始めた。建前だけのいびつな民主主義を標榜する政治のあり方は、既に日本という「国」の末端から腐敗を始めてはいた。しかし、事ここに至って、私たちはこの「国」のあり方に心底絶望する。
 同時に、そうした腐敗をくい止められなかった、私たち自身の非力さにも思いを致さざるを得ない。
 本日参議院本会議で、表記の「改正」が可決された。「八時間労働制」を実質的に崩すことになるこの法「改正」に反対し、慎重審議を要請してきた私たちは、これに強く抗議する。この法「改正」は、一体誰のための、何のための「改正」であったか。そして、それはどういう審議の経過を経てなされたのか。
 そもそもこの法「改正」に関しては、適用される私たち労働者の意見は全く聞かれず、委員会審議における多くの参考人の意見も同じく聞かれないまま、一方的に採決に付されたのである。またこの法「改正」は、政府・財政の一方的な都合による、規制緩和の一環として強行された。国際化と大競争時代に勝ち抜くことを大義名分として。
 また、その経緯を見れば、多数決が全てという浅薄な民主主義を振りかざし、政党間の密室の野合でしゃにむに決着を図ってきたことが明白である。
 私たちはこうした「改正」の内容と、決定の経緯を認めない。
 これからは、私たち自らの生産現場に、闘いの舞台は移される。私たちは労働者の分断を許さない。人並みの労働と生活のあり方を再構築するために、私たちは相応の決意をもって闘いに立ち上がる。人権の確立と真の民主主義を定着させるために。
 重ねて法「改正」裁決の暴挙に抗議する!

 1998年9月25日   日本マスコミ文化情報労組会議
                 議 長  今 井 一 雄



'98MIC広島フォーラム    開催される

「核」の原点を見直すー冷戦後の核拡散を日本はどう考えるかー


 「戦後50年を過ぎるころから、冷戦の終結もあって、核兵器や軍縮の問題に一般の関心がいかなくなって心配していた。不幸で悲しいことだが、インド、パキスタンの核実験があって、再び世界の目が核やヒロシマに向くようになった。このフォーラムを機に核廃絶と平和に向けてのとりくみを改めて問い直してほしい」、冒頭挨拶に立った薮井広島MIC議長(中国新聞労組委員長)はMICフォーラムへの期待を述べるとともに、インドからのラムダスさんが8月5日午前、平岡広島市長を表敬訪問して、意見交換したことを紹介してくれた。続いて主催者を代表して今井MIC議長は、「被爆者の平均年齢が66.9歳となり、その6割が1人また2人の世帯となった、高齢化と健康の悪化の問題に触れながら、MICが原水禁大会と並行して独自の「なくせニュークスフォーラム」を開催するに至った経緯を報告。冷戦の崩壊後も、軍拡競争は納まらず、インド、パキスタンの新たな核保有国が増える状況の下で、こうしたフォーラムの問い直しと、自らの反核・平和運動についても、「唯一の被爆国・日本」を超える新たな運動の模索を訴えました。
 今回の広島フォーラムは、元インド海軍高官のラムダスさんの講演(要旨別掲)によって、実りあるものとなりました。
 講演後の2部で予定されていた、広島ホームсeレビの記者は残念ながら都合で参加できなくなりましたが、過日放映された「テレメンタリー98印パを歩くー命を懸けた被爆者の願い」(広島ホームテレビ制作)、「NYVLドキュメント98退役軍人の反乱ーアメリカの神話」(広島テレビ制作)の2本が大型画面で再上映されました。
 夜は恒例のMIC交流会が開かれ、民族衣装に着替えられたラムダスさんも、MICの仲間との歓談・交流で楽しそうでした。(参加者100人)
 8月6日(2日目)は、平和公園で行われた、広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式に参列して、希望者は原爆碑めぐりを行って散会しました。


ラム・ダス講演(要旨)

 インドが核実験に踏み切った本当の理由は、3月に政権を取ったBJP(インド人民党)のイデオロギー上の問題である。かって、必要なら「国家安全保障委員会」を設置する、といっていたのに、科学者からの圧力もあってそのプロセス抜きに核実験を行ったのである。核兵器保有国には、それなりのインフラ整備と核に対するドクトリンがなければならないのに、そのいずれも持たないまま、実験を行うことは無茶といえる。いったい誰が核をコントロールするのか、これが問題だ。アメリカや旧ソ連のようにハイテクが進んだ国でも、人的、物的な一万件に近いニアミスが起こっているのに、インド亜大陸の現状ではきわめて危険だ。しかし、核保有五カ国はみずからの保有は認めて、他はダメと拒否する。インド(国民)はこの態度は図々しく、不公平だと感じていることも確かだ。
 核兵器の三つの神話ーh核兵器のパワーiステイタスj核抑止力、について述べたい。パワーといっても政治的な面で、日本、ドイツ、南アフリカなどはそれなりの国力があっても核兵器は持たない、南アは、かって保有したのに廃棄して、NPT、CTBTに参加している。また、一方旧ソ連のように、かっての強大国が現在では17の国に分かれ、経済的にも大変な状況になっている。国力は経済の力であって、核兵器の有無ではかれるものではない。抑止力という点では、冷戦時代にアメリカとソ連の間で7万発の核兵器が開発されたように、じっとしているものではない。むしろ、相手より一歩先ををいくために、核軍拡の危険が増すばかりだ。また、人間の反応には、心理的な面も見逃せない。仮想的国を想定して、あれこれの要素を考えるが、今ではこうした考えは時代遅れの、間違った、高価につく考えといわざるを得ない。次に核兵器のコストの問題ついてだが、アメリカのブルックリン研究所が試算した数字がある。核兵器そのものにー7%、運搬手段にー7%、廃棄物の処理にー8〜9%、78〜79%が管理運営システム、ー情報システムにほとんど8割が使われる位、非常にコストがか かる。ちなみにアメリカが約50年間(45〜96年)に核プログラムに要した総費用は、4.4兆ドル。中国の「最低限の抑止力」のためのコストは、5、000億ドルといわれている。 インドは現在、年間85億ドル、パキスタンはその半分の40億ドルの防衛費を使っている。
 日本の防衛費1%は530億ドル(核抜き)で、この金額はインドの年間予算の6〜7倍である。インドのスポークスマンは大丈夫といっているが、もっと別な使い道ー食料、医療、衣料、教育、住宅などーがいっぱいあるはずだ。我々の前には今二つの道があり、h破滅、破壊への道とi正気、大人の道だ。すべての人が手を携えて、核兵器をなくすよう5大国に訴えていくべきとき。日本はアメリカの核の傘から出て、こちら側の先頭に立つべきだと思う。




● 金丸研治(映演共闘)
 東西冷戦構造が解体し10年近くになるが、そのことは恒久平和の実現を全く意味せず、単に国際紛争の対立機軸が変化したに過ぎない。世界各国は未だに核の脅威から開放されず、インド・パキスタンの核実験により、あるいは冷戦時代以上に核戦争の勃発を恐れなければならなくなった。
 昨年は長崎、今年は広島での平和フォーラムに参加した。被爆地を訪れて感じることは、核兵器は実際には使われることのない戦争抑止の手段なのではなく、それを保有し、管理する者が人間である以上、常に使用される可能性がある実戦兵器なのだということである。
 拡散を防いでも、地球上には核兵器が存在することには変わりはなく、保有国がそれを使用しないという保証はどこにもない。
 単なるスローガンではなく、現実論としての核廃絶に取り組むことこそが、いま、私たちの急務ではないだろうか。




● 山田 章(出版労連)
 今回初めて参加した。インド・パキスタンが核実験を行い、新たな核の恐怖が出た年であり、各単産の組合員の方々がどう感じられているのかを知りたくて、参加を希望した。
 MICに招かれた元インド海軍参謀、ラムダス氏の経験からの説得力のある話を感動をもって聞かせてもらった。彼の発言は体制の側からの核実験反対、核兵器廃絶であり、経歴からしても勇気あるものであった。
 インドやパキスタンの国民の声が、核の恐怖を実際に知らないとは言え、「核兵器を持つことによって安全が守られる」、「日本が核を持っていたら、広島・長崎の悲劇はなかったはずだ」、「日本の過去の悲劇は理解できるが、いま、自分たちはアメリカの核の傘に守られながら、核廃絶を言うのは偽善だ」などなど、核を保有することによって安全が保障されるとする核抑止論の誤りが大半ではあるが、被爆国の国民としては日本政府の政策転換を強く訴えることこそが、まず第一にすべきであることを痛感した。
 関西MICの服部議長があいさつでいわれた、「核保有の論理は少年が恐怖から逃れるためにナイフを所持する気持ちと同じではないか。持っているから使ってしまうことが起きてしまう。大変危険なことだ」は、的を得た発言であった。
 国際・国内の世論を盛り上げるには、マスコミの力を組織的に発揮していかねばならない。また、日常の職場からの地道な取り組みもなければならない。MICのある組合では、これまで毎年8月の6日か9日の被爆の日に、昼休み集会を持って平和への思いを新たにしているところがある。毎月の6日か9日には、街頭宣伝行動を取り組んでいるところもある。印刷出版は国民平和大行進に、毎年東京〜広島リレー行進で参加している。何でもいい、継続的に平和のために、職場の組合員とともに行動し、世論を盛り上げる行動を全国のMICとして取り組むべきではないか。



●「’98年夏―反核の運動に思う」松本伸二
(音楽ユニオン)
 5月のインドとパキスタンの相次ぐ核実験の強行は、冷戦の今日、核廃絶の運動が引き続き重要な問題であることを改めて思い起こさせた。今年の夏は、被爆50年を契機にややもすると低調になりかけていた運動を少しは盛り上げたようである。
 私は7月に長崎の平和音楽祭に、また8月にはMIC広島フォーラムと東京のグローバルコンサートに参加した。
 長崎では16歳で被爆した渡辺千恵子さんの半生を、合唱と語りで構成した「平和の旅へ」рェプログラムとして取り上げられ、日色ともえさんの語りと地元の音楽家や合唱団によってその101回目の公演が行われ、満員の聴衆に深い感銘を与えた。合唱団には中学高校生も多く見られ、上演後の交流会で、被爆者が高齢化したいま、若い人たちの運動への参加は非常に重要であると、口々に語られていた。
 MICのフォーラムでも、これまでになく若年層の参加が多かったようであるが、特に新聞労連の協力で実現したインドの元海軍長官のラムダス氏の講演は、氏が長年にわたってインドの軍事面での重要な立場にあった人の話しーとりわけ「核兵器による抑止論は幻想である」ということが、現実のものとなっただけにーで説得力があった。
 私たちの間には一部反核の運動は、政治運動で労働組合が取り組む問題ではないという声もあるが、この運動は私たち人間が、将来ともに平和で安心して人間らしく生きるための基本的な権利を守る運動であることを、改めて思った98年夏であった。




● 仰 正純、 直江 隆昌(電算労)
 このフォーラムに出席して、いままで知らなかった核兵器の恐ろしさと被爆者の方々の努力を知りました。また、核兵器をなくし、使わせないためにも戦争という人と人とが傷つけ合う行為をなくさなければいけないと感じました。
 2日目は朝から平和記念式に参加し、その後、実際に被爆された方の案内で、平和記念公園内の慰霊碑を案内していただきました。現実に経験した人の話だけに、とてもリアルな話でした。慰霊碑を一通り回ったところで、見慣れた、しかし実際には始めてみる建物が目に入りました。快晴の空にそびえ立つ“原爆ドーム"。
 テレビや写真では何度か見たことのある原爆ドームを実際に目の前にしたとき、初めて“広島へきた" “ここが原爆の爆発した場所だ" と実感しました。
 その後、千羽鶴の由来となった記念碑、世界からすべての核兵器がなくなるまで燃え続けるという炎を回り、慰霊碑めぐりを終えました。
 最後の炎について案内の方が、「この炎が消えるまで私は生きてはいないが、あなたたちはこの炎が消えるのを見られるかもしれない」と話された時、世界から核兵器がなくなることを一番に望んでいるのはこの人たちなのだと思いました。
 最後に平和記念資料館を見学し、一泊2日の行程は終了します。広島に来るまでは、仕事が忙しい中、はっきり言って面倒に感じていたこの旅行が、終わってみると自分にとって、とてもすばらしい経験になっていました。
 戦争を知らない時代に生まれ育ち、さらに東京にいては絶対に感じられない、原爆の、戦争の悲惨さを感じることができました。
 後日、東京に戻りふとテレビを見ていると、広島の原爆についての番組が放送されていました。広島に落ちた原爆が“リトルボーイ"と名付けられていたこと、原爆ドームは当時、産業奨励会館であったことなどを新たに知りました。広島に行っていなければ興味を持たない内容だと思いますが、今回のフォーラム、式典が少なくとも自分に影響を与えているのだと実感しました。
 (こんぴゅうた 98年9月18日号)




● 被爆遺族との交流会に出席して  中山 外(新聞労連)
 被爆した新聞労働者の遺族との昼食会は広島厚生年金会館で行われた。藪井中国労組委員長のあいさつに続いて、服部新聞労連委員長の音頭で乾杯し、食事をしながら交流を深めた。「できることなら8月6日をこの世から消してしまいたい」。私と席が隣になった遺族の方はそう話してくれた。「どのように戦争をとらえ後世にに伝えていくのか」はとても難しい問題で、戦争を知らない私たちにとって、その体験談を聞くのはとても良い勉強になる。が、そのためには常にー思い出したくないことを聞かねばならないーというジレンマがついて回る現実を決して忘れてはならない。そして一人ひとりが平和について自分なりの考えを持ち行動していくことが大切だと感じた。
(新聞労連 1998年8月15日、30日合併号)


MIC第37回定期総会と  35周年パーティー

日時:10月17日(土)午前10時〜東京・千代田カンダパンセ
午後4時〜記念講演 石川真澄さん(新潟国際情報大学教授)
午後6時〜記念パーティ*千代田・教育会館
*10月16日(金)午後は地方代表者会議  出版労連・会議室


今年はMIC結成35周年です。総会終了後に記念講演とパーティを開催します。